「被害からの回復」に関する犯罪被害者調査-オンライン調査の結果報告書
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悲嘆と憎しみ、絶望と虚無感のなかで疲れ切り、「抜け殻」のようになった自分を隠し、世間の無理解に対し感情を押し殺して表面をつくろい、「普通」に振る舞いながら、楽しい明日や未来は全く見えず、「心理的な死」「社会的な死」を実感。亡き長女のために、「遺志の社会化」という使命感だけで、死んではならないから生きている加害者対する憎しみは時間経過によって、何ら変化しないこれまでの生活が一転し、経済的に苦しい。精神的にも10年以上通院しても社会復帰できていない。加害者には社会復帰まで手厚い支援があるが、遺族にはない。おかしいと思う生きるとは、死ぬとは、人生とは、自分とは、などと答えの出ないことを考え模索中。他人の気持ちに敏感になった人を信じられなくなった。事故に対して信じていた人達に裏切られ、誰を信じてよいか分からなくなった自分の人生に希望を持つことはなくなった。価値観の変化何をするにしても、臆病になった毎日が孤独で、夜になると死ぬことを考えるようになった日常生活は何とか維持している感じでした。常に怒りや苦しみの感情が深層心理の部分にあり、社会や周りの人との協調性が失われていく感覚を年々、深めていきました〈交通被害〉〈殺人等被害〉PTG得点の低い群命に対して年功序列ではなく、タイミングと運なのかもしれない。何もなく平々凡々と過ごしている日々が幸せなんだと思うようになりました。そして二度と戻れない世界だと思ってます。大きく変わったような、何も変わっていないような…よく分からないというのが本音ですいかに大切な人(亡き息子)だったか。怒り感情がこんなにあるのかと。家族、本当の友だち、当事者どうしの大切さ季節感が薄れ困った。生きることが怖くなった。のほほんと軽く生きられなくなった。心配性が強くなった。疑い深くなった。先送りすることが多くなった。即決することが怖い。普通の感覚が分からないことが生じるようになった。神経過敏になった墓石や何百年に渡る先祖の供養は私には今後必要ないと感じた。亡くなった子供は今も変わらずここにいると思えるようになった犯罪者の心を変える仕事がしたい、世の中を変えなければと思った。しかしいまだ恐怖心や不安、人間不信が拭えず、過剰な心配や恐怖にかられて生活に支障をきたしている被害者も加害者も生み出すような社会なのだと感じ、それを変えたいと思うようになった人を信じられなくなった。亡くなった、突然奪われた命に、遺族には人権はないんだと感じました。事件前とでは、人生観全てが、世の中が全く違うように感じていますいつ被害者、被害者遺族になってしまうかわからないので、後悔ない毎日を送りたく思っていますが、なかなかできていません。夫が亡くなり娘達にとってたった一人の親になってしまったので、何が何でも生きていなければと思うPTG得点の高い群― 50 ―
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