福祉のあれこれ

映画『アメイジング・ジャーニー 神の小屋より』を観て

2019.7.20

 人は理不尽な出来事、たとえば凶悪な犯罪に遭遇し打ちのめされるような衝撃を受けたとき、そこからどのようにして“立ち直る”ことができるだろうか。長い目でみて癒しは得られるだろうか。

 そんな問いに1つの示唆を与えてくれる映画に出会った。タイトルはThe Shack(邦題『アメイジング・ジャーニー 神の小屋より』)、2017年にアメリカで公開された映画である。主人公はマックという40代の男性。彼自身子どもの頃の罪で深い心の傷を抱えているが、大人になりよき伴侶を得て幸せな家庭を築いていた。ところが、最愛の幼い娘ミッシーを誘拐、殺害され、「大いなる悲嘆」に陥る。1通の不可解な手紙をきっかけに “小屋”を訪れることに… そこでまさにアメイジングな旅路を経験するストーリーである。小屋にはキリスト教の教理である三位一体を具現化した3人の人物が現れる。ストーリーの根幹には「和解」や「赦し」がテーマとして流れており、分類としては「宗教映画」に入るらしい。

 知り合いの神父さんから、三位一体の「父」は黒人女性、「聖霊」は日本人女性が演じていると聞き、率直に面白そうだと思った。犯罪被害の問題について関心をもっていることもあり、早速DVDを借りた。憎しみと赦し、人としての在り様、家族愛、神との出会いなどさまざまな角度から読み解くことができる、心に響く映画だった。

 こうした映画から若い人たちはどんな感想を抱くだろうか― ある少人数クラスで学生たちといっしょに観ることにした。観る前に、導入として学生たちに「もし家族が犯罪被害に遭ったらどんな気持ちになるか」「神のイメージは?」「今まで神に出会ったと思ったことはあるか」を書いてもらった。そして観た後に、映画の中で気に入ったセリフや全体の感想などを聞いた。以下、学生たちの感想の一部を紹介する。

 まず、映画の中で気に入ったセリフについて― 同じセリフが挙がる率が高く、学生たちの心に触れたセリフがほぼ一致することがわかった。ほとんどがアメイジングな旅路を通してマックが3人の(位格をもつ)神から投げかけられる言葉である(映画の核心をつくセリフばかりなので、繰り広げられるシーンについて想像をふくらませてほしい)。

  • 「痛みだけを見ていたら自分を見失う」
  • 「悲しみの穴だけからしか世界を見ていない」
  • 「人間は愛されるように創られた、愛されずに生きるのは翼を失うのと一緒」
  • 「あなたは日々何かを裁いている」
  • 「善と悪を主観でしか判断できないのに人間は神を演じようとしている」
  • 「私は悲劇から最良のものを創り出せる、だからって悲劇を作ったりはしない」
  • 「君が誰かを愛したり赦したりするたびに世界はよい方向に変わる」

 神のイメージについては、「唯一無二、孤高な存在」「こころの拠り所、人生を生き抜くための希望」「絶対的存在でいつもそばにいてくださる存在。どんな時も味方であり、力強い存在」「悪いこともよいことも、神を信じている人は受け入れてくれるイメージ。導きを与えてくれる」と記す学生がいる一方で、「私たちの運命を勝手に決めてしまうような存在」や「信仰している人が勝手に作り上げていった架空のもの」「人間の都合がいいとき、悪いときに頼るためにある虚像」といった記述もあった。

 「神に出会ったと思ったことはあるか」については、なかなか面白い記述が多かった。20名のうち「出会ったことはある」と回答した学生が11名、「なし」が8名、無記入が1名だった。「ある」の回答では、「願いが叶ったとき」が一番多く、「自然の脅威を感じたとき」や「受験本番で漫画で読んだことのある古文が出た時には神が降りたと思った」といったクスッとしてしまうような記述もあった。また、「さまざまな人とのかかわりの中で、その人を通して出会ったことがあると思う。何かメッセージを伝えてきていると感じた」とする回答もあり、これは私の感覚と共通していた。「なし」の回答の中には、「もし神がいるならそれは自分自身のことだと思う、神は存在していない。自分の生活、将来は自己の手にあると思う」ときっぱり記したものもあった。上智大学での学びを経たのちこの回答がどのように変わるのか、変わらないのか、見届けたい気がしている。

 上述したとおり、この映画に流れるテーマは深く広い。学生たちはこれから長い人生を歩んでいく― 喜びや楽しみだけでなく、苦悩、怒り、失意、後悔、悲しみに直面することもあるだろう。まさに神に出会ったと腑に落ちるときや、この世に神はいるものかと、うろたえるときもあるかもしれない。そんなとき、この映画を再び味わってほしいと思う。

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