ゼミ紹介
ゼミ生の参観レポート
横浜刑務所を参観して
1月27日、ゼミで横浜市港南区にある横浜刑務所を参観させていただいた。総勢18名、穏やかに晴れた午後だった。横浜刑務所は住宅街に近接していることもあり、明るい開かれた印象を与える。
伊藤ゼミとして近年の刑務所参観は、2015年12月の府中刑務所に続いて2回目である。現在、刑務所ではどのような矯正処遇が行われているのか。社会復帰への道筋は整えられているか。そして、被害者等への対応はなされているのかなど、各自で問題意識を明確にして参観に臨んだ。事前学習としては、沢登文治著『刑務所改革』(2015 集英社新書)、外山ひとみ著『ニッポンの刑務所』(2010 講談社現代新書)を読み、ノルウェーの犯罪学者であるニルス・クリスティーが登場するYouTube「囚人に優しい国ノルウェー」を観た。
当日は、横浜刑務所の概要について説明を受けた後、刑務所内の作業所、調理場、居室、体育館、保護室等を案内していただいた。ほぼ二列に並んで参観するのだが、全員レシーバーをつけて先頭の職員の方の説明を聞き取るようになっているため、刑務所の様子をつぶさに把握できたように思う。
学生たちは、思った以上に細かく観察し、さまざまな感想を抱いたようだ。その感想文の一部を以下に載せる。
3年 A.K.
横浜刑務所参観で感じたことや考えたことを述べていきたい。まず、刑務所全体のイメージとしては、府中刑務所よりもコンパクトで、「地域に溶け込み」、「明るい」雰囲気を感じた。
敷地は、日本一の規模を誇る府中刑務所に比べると随分と小さい。また、収容人数も1200人ほど(収容率は約82%)と、府中刑務所の3分の1程度である。施設は、住宅街の中にあり、最寄駅から徒歩数分程度で辿り着く。塀には囲まれているが、地域住民の目が届かないように辺鄙な場に設置されていないことと、受刑者が制作した製品を地域住民が購入できる販売所があることを考えると、「地域住民とともにある、身近な施設に感じられる刑務所」だと思った。
横浜刑務所に明るいイメージを持った理由は、2つある。
1つは、居住空間の雰囲気から感じられた。府中刑務所を参観したとき、居住空間は非常に狭く、うす暗く、受刑者たちが人間らしくない生活を送っているように感じた。しかし、今回は、受刑者の居住空間に入った時、非常に狭いながらも外から陽の光が入り、清潔な環境が保たれていた。中に入ってみても、不快な感じや拘束されている感じは受けなかった。
本棚が設置され、自由に自分で購入した本(勉強するためのテキストの他、旅行雑誌や成人向け雑誌)や写真(彼女とのツーショット写真)が飾られていること、テレビがあることには、正直なところ驚いた。近年、刑事施設における個人持ち込みの規制が緩和されていることは知っていたが、教養を身に付けたり、社会の動きを知るチャンスがあることは、社会復帰を目指す上で良いことだと思った。
2つ目の理由は、受刑者たちが生き生きとしている様子が見られたこと。1日30分、体を動かす時間、体育館の中に入った時に、目を疑った。受刑者同士がまるで友人であるかのように、生き生きとお喋りをしていたからだ。日本人と外国人が楽しそうに綱引きを行う様子(外国人被収容者は108名。参観時も外国受刑者の数が多い印象を受けた)、腕まくりをして額に汗をかきながら「よっしゃー!!」と大声を上げて卓球対戦をしている様子、高齢受刑者たちが黙々と囲碁に勤しんでいる様子、見ていると思わず微笑んでしまうくらい、「刑務所らしさ」が感じられない場だった。普段は、自由な時間はほぼ無く、受刑者間の会話は禁止されているため、この時間だけが特別らしい。このように、周囲の人と自然にコミュニケーションを図れる時間を設けることは、精神安定のためだけでなく、退所後、社会で生きていくために必要な対人関係構築のために必要なスキルを獲得するためにも必要なことだと思った。(中略)
いずれ出所する受刑者たちは、私たちと同じ社会の中で生きていく。刑務所内での教育・改善指導を充実させ、退所後の就労先や居住地を決めるなどのフォローだけでは、どうにもできないことがある。今日、改めて考えたことは、周囲から偏見の目で見られることで、自立して生きていく意欲を喪失することに繋がるのではないだろうか?ということ。徐々に、受刑者を取り巻く環境は、「刑罰」や「隔離」から「受刑者たちの更生、社会復帰」に向けた方向に進んでいると思う。ただ、制度的な問題だけでなく、刑務所の中と外、受刑者たちと関わる全ての人の意識の持ちようが大事なのではないかと思う。受刑者も私たちと同じ「人」。その意識を持っていたい。
3年 C.H.
横浜刑務所参観は、昨年の府中刑務所よりも受刑者の生活を身近に感じることが出来た。また、事前学習で「ニッポンの刑務所」を読んだ際、刑務所における過剰収容の問題について触れられており、横浜刑務所でも過剰収容が行われているとの記述があったが、いまではそれも収まり、受刑者は定員数以内に収まっていた。この参観を踏まえて、横浜刑務所の「いま」について感じたことをまとめていく。
刑務所では、受刑者の特性に応じて異なる処遇指標がある。処遇指標とは、受刑者に対する矯正処遇を行うにあたり、それが適切に行えるよう、収監先の刑務所や収監後の処遇方針を定めるためのものである。その指標とはA(犯罪傾向が進んでいない者)B(犯罪傾向がすすんでいる者)W(女子)L(執行刑期10年以上)P(身体上の疾病や医療が必要な者)F(外国人)などがあるが、横浜刑務所はB指標受刑者やF指標受刑者、LB指標受刑者を収容している。また、受刑者の罪状として、日本人の場合多い順に覚せい剤、窃盗、強盗、詐欺、殺人未遂とあるが、外国人の場合は覚せい剤、強盗、殺人となっている。
また、外国人受刑者の中には軍歴がある者が多く、人を殺めることに対して何の感情を抱かない者も少なくなく、刑務所内での傷害や闘争を防ぐことが課題であると聞いた。これまで外国人受刑者に対する処遇の難しさは言葉が通じないことや食事や宗教などの違いにあると思っていたが、軍歴などのそれまでの経験などによる思考パターンなども処遇のむずかしさに繋がっているのだと知った。外国人受刑者の処遇に対し、横浜刑務所では平成23年以降国際対策室が設置され、多様な言語に対応できる職員を置いている。その意味とは、刑務作業などの円滑化のためだけでなく、刑務作業以外の時間にもコミュニケーションを取れるようになると精神の安定にもつながるからだと分かった。確かに、刑務所は刑務作業や矯正の場ではあるが、外国人にとってまったく言葉の分からない場所で誰とも会話もできずに過ごすのは精神衛生上もよくないため、国際対策室の重要性は分かるが、そのために日本の税金が使われるのは少々不満に思う部分もある。
続いて、矯正の場を見て感じたこと。今回は印刷、木工、洗濯、高齢者障害者などの軽作業、配食などの作業場を見たが、脇目をふらずに一心不乱に作業する受刑者の姿は府中刑務所のそれを彷彿とさせた。しかし、今回は体育館での運動風景を見ることができ、受刑者同士が和やかな雰囲気で運動やコミュニケーションを取っているのが何だか新鮮だった。それとは一変、保護室は臭いからして他の施設とは大きく異なり、刑務所の闇が垣間見えたように思った。
帰り際、刑務所作業製品の販売所に寄り、刑務作業で生産された品物をいくつか買うことが出来た。中でもうどんや石鹸は人気があり、リピーターも多いと聞いた。それらの品物などを通して、社会と刑務所との間につながりが出来れば、刑務所に対する理解もだんだんと深まっていくのでないかと感じた。受刑者も刑務作業を通して技術を身に着けることで、社会復帰後も働けるようになれば良いと思った。そのためには協力雇用主の存在が必要不可欠であると感じた。
3年 M.M.
今回、横浜刑務所を参観させていただいて、まずとても地域に開かれている雰囲気を感じた。参観を通して一番驚いたのは、思っていたよりも自由であるということだ。実際に受刑者の部屋に入らせていただき、とても狭かったが趣味の本や雑誌、私物が多くありテレビもあったことに驚いた。事前に読んだ本で新法の制限の緩和によって私物保管箱(スーツケース)の範囲なら自由に私物が所有できることは知っていたが、ここまで自由であるとは思ってもみなかった。
参観では、受刑者の作業中や運動中のところを歩いたが、工場の中に入ると緊張感をさらに感じた。刑務官の大きな厳しい号令に従って腕を振って歩く姿や私語厳禁の中の刑務作業など、刑務所独特の空間を肌で感じ見ることが出来た。刑務所は現在、厳罰化よりも再犯防止や改善指導・教育に力を入れていることを伺った。これは平成19~20年頃の過剰収容によって、受刑者たちの作業がなくなりこの頃から矯正指導が発達したことによる。実際に今年度は出所後の就労が協力雇用主の協力もあって15名と去年の3倍になっているとのこと、やはり出所後の居場所と出番が社会復帰につながることを再確認した。今後成人年齢が18歳以上になるとすれば、受刑者の若年化により作業ができにくい場合も考えられ、より再犯防止に向けた改善指導が強化されるのではないかというお話も伺った。
私は港南中央駅に近い駅でアルバイトをしているが、横浜刑務所の存在を全く知らなかった。私と同じように、知らない人はきっと多くいると思うので、刑務作業品の販売などを通して刑務所や社会復帰について関心を広めていくことも重要だと思った。私自身ももっと刑務所や受刑者の社会復帰について深く学んでいきたいと改めて思った。
2年 A.K.
横浜刑務所を参観して、一般の人は普段経験することのない「実際の刑務所の中を見る」という経験ができ、忘れがたい機会となった。一番感じたことは、刑務所で過ごす人たちは普通の人のように見え、中での生活も想像したほど辛く厳しいものではないのではないかということであった。刑務所を参観する前は漠然と、刑務所は雑多な場所で、受刑者は過酷な生活を強いられていると想像していた。しかし実際はそのようなことはなく、刑務所内はとても清潔に保たれていて、受刑者の人々も作業所で黙々と仕事を進め、私たち参観者が近くを通ると背を向けて手を腰につけた姿勢をとっており、私は受刑者の一人ひとりへの教育がしっかり行き届いているという印象を抱いた。
しかし、やはり「刑務所である」ことを感じることもあった。横浜刑務所が過剰収容であったと言われていた時期には、共同部屋の定員が5~6人であるのに対し8~9人ほどが収容され生活を送っていたとのことだったが、その状況はやはり一人の人間として辛い生活環境であると感じた。たとえば、私は部活で一週間の夏合宿を経験するが、ほぼ7畳の部屋に5人ほどが入って一週間過ごす。厳しい練習を毎日行い、精神的にも肉体的にも限界に達する状態の中、狭い部屋に人が集って過ごすことになる。これだけでも私は息苦しく辛いものであると感じるが、実際に過剰収容時の共同部屋を想像してみたら、同室の者は何でも話せる自分の友達ではないし、そのような人たちと狭い部屋の中で生活していくのであるから、非常に過ごしにくく、ストレスが溜まるに違いないと考えさせられた。
「受刑者も一人の人間」というニルス・クリスティーの言葉を学んだが、はじめて受刑者の姿を間近で見て、私もその言葉通りのことを感じた。私語を禁じられている受刑者が話すことを許される体育館でレクリエーションをする様子を参観したが、受刑者同士会話をして和らいでいる表情がとても印象的で、ニルスの言葉の意味を実感した瞬間でもあった。しかし、受刑者を「人間」と捉えることと同時に、案内をしてくれた部長さんのお話にもあったように、一定の規律は維持されるべきであるとも考えた。