• ホーム
  • ゼミ紹介
  • ゼミ生の参観レポート シンポジウム「被害者の声を聴こう~よりよい支援のために~」に参加して

ゼミ紹介

ゼミ生の参観レポート

シンポジウム「被害者の声を聴こう~よりよい支援のために~」に参加して

 12月14日 法務省・東京都・警視庁・日本弁護士連合会などの後援を得て、被害者が創る条例研究会と科研費研究チームの共催による上記シンポジウムを開催した。広報から始まり当日の会場設営、進行補助、後片づけまで伊藤ゼミとして協力した。ゼミ生のほぼ全員が朝からきびきび動いてくれ、心強く思った1日だった。

 以下、ゼミ生の同シンポジウムに関する感想文の一部を載せる。

3年 M.N.

 シンポジウム「被害者の声を聴こう」に参加した。演習の授業で犯罪被害者について学ぶことは多いが、実際にお話を聞くことのできる貴重な機会であった。3名の被害者遺族の方のお話は事件内容が重いだけあって、考えさせられることが多かった。そこで感じたことをもとに、3人の被害者遺族の方、松本さん、寺輪さん、小林さんのお話に対する感想と、そのお話からニーズと各関係機関のよかった対応、悪かった対応を読みとり、自治体を中心とした支援体制の課題について検討していきたい。

①被害者遺族の声を聴いて

 最初は2012年に広島で起きた、トレーラー鉄板落下死亡事件の遺族である、松本さんのお話があった。ある日突然家族が一人いなくなるという、心理的に大きな打撃を受けているなか、葬儀の準備や刑事手続きに向き合わなければいけないのは、やはり負担が重過ぎると思った。私も今年の7月に祖父を病で亡くし、しばらく喪失感が続いた。祖父は病に臥せっていたため、心の準備はできているつもりであったが、それでも家族を亡くすという出来事は大きく、いつ亡くなってしまうのか気が気でなかったのを覚えている。喪失の体験を比べるのはおかしいかもしれないが、心の準備ができずに、当たり前の毎日を過ごしている中で家族が突然に還らぬ人となるという体験は大変辛く、遺族のその後の人生に大きな変化をもたらすと考えられる。

 また、「周囲の人が、どう接していいのかと困った顔をするのが嫌だった」という言葉が印象的であった。遺族がある日突然家族を失ったのと同様に、周囲の人にとってはあまりに突然のことでどう接したらよいのかわからなくなってしまう気持ちも理解できる。しかし、遺族にとっては家族を亡くして、精神的に不安定になっていることが予想できる。ここで周囲の人が自分の不安を見せるべきではないと思う。その不安は遺族に伝わり、周囲の人を自分のせいで困らせてしまっているという自責の念が生まれてしまう。これを防ぐために、日頃から犯罪被害者や被害者遺族に対する見聞を少しでも広げておくことが、遺族の二次被害を予防するためにも必要なのではないかと思う。松本さんのお話からは、司法手続きへの支援、市役所での手続きに一貫性がなかったこと、母子ともにPTSDになったこと、等が読みとれた。

 次に2013年に三重で起きた、女子中学生殺人事件の遺族である、寺輪さんのお話があった。この事件は少年事件であったことから、マスコミの過熱報道がひどく、囲まれてフラッシュをたかれ、近所へのききこみ、はりこみ、葬儀にも押しかけられたそうだ。また、衝撃的であったのが、葬儀後3週間は家に帰れなかったという点だ。帰る場所があるのに帰れず、テレビ・ラジオでの被害者の実名報道により知り合いから多数の問い合わせがあったというお話だった。保護されるべき対象の被害者遺族がなぜここまでつらい思いをさせられなければならないのか、理解ができなかった。また、寺輪さんは裁判の結果に納得がいっておらず、悔しい思いをしたと話された。例え判決に納得がいかなくとも、被害後のしかも二次被害も大きかったなかで判決を覆そうという選択をするほどの気力があるというのは考えにくいと思う。裁判にはお金も時間もかかるというが、被害者や遺族の声を反映できるような場が必要であると感じた。また、被害者の兄弟は学校を中退したり、進学を諦めたりせざるを得なかったというお話だった。犯罪被害者の兄弟についての支援というのも今後検討していくべきであると思った。

 次に1996年に柴又で起きた、上智大生殺人・放火事件の遺族である、小林さんからのお話があった。今回話された3つの事件うちで唯一の未解決事件であり、怒りの矛先をどこに向けたらよいのかという小林さん自身の思いと、未解決事件の被害者や遺族の方にはどういった支援が必要なのか検討してみたいと思った。小林さんのお話からは、捜査を現在でも続けてくれることが生きがいであるということが伺えた。犯人の特定はもちろんであるが、事件の解決に向けて警察が捜査を続けること自体が遺族の心の支えとなっているのだろう。また、この事件によって小林さん一家は家を失ったことに加え、公的支援が整っていない時代であったことから、現代とは違った様々な苦悩があったことが想像できる。小林さんの場合は、奥さまの所属していたバレーボールチームの方々に支えられてきたというお話にあったように、インフォーマルな支援があったことが救いであったように感じた。しかし、このインフォーマルな支援に頼りきりとなるだけでは、不安定であり、様々なケースに対応することはできない。現在では、公的支援が整いつつあるが、それでも地域によっては足を運ぶのが難しい場合も考えられる。市町村などより小さい単位で、被害者や遺族に寄り添った支援を実現すべきであると思った。

②支援体制の課題について

 ケースごとにニーズは多様であり、各関係機関は柔軟に対応することが求められるだろう。また、被害に遭ったことでこれまでの生活が一変し、日常生活が送れなくなるということが一貫していた。犯罪の被害に遭うと、心理的にも経済的にも社会的にも大きな打撃を受けるが、3人の方のお話を聞いて改めて、生活を差し支えなく送れるような支援することの重要性を感じた。公的支援は整備されつつあり、行政によるカウンセリングをはじめとする、犯罪被害者に対する支援も充実してきている。しかし、お金を用意する、カウンセラーを配置する、それで終わり、ではなく一歩踏み込んだ支援というのも必要なのではないかと思う。民間の団体がカバーしているが、資金の関係や地域差が出るなど、民間だけでは解決しない課題も当然出てくることだろう。市民の生活が当たり前に送れるようにサポートするのは自治体をはじめとする行政の仕事であり、理念であると思う。数ある多くの窓口対応のひとつとして数えずに、ひとつひとつのケースに真摯に向き合うことが、被害をこれ以上拡大させないためにも必要なのではないだろうか。

3年 M.S.

 シンポジウム「被害者の声を聴こう」に参加させて頂き、被害者支援の実態について触れ、考えを深める貴重な機会となった。これまでの授業で調べてきた日本の被害者支援に関する情報は不十分であり、書籍やインターネットから得られる内容だけでは断片的な理解であることを身に染みて感じる一日となった。被害者の方々から気持ちを伺うことは、正に被害者支援における現状を理解することにつながり、その上で支援のあり方や連携の重要性について考えを深めることができる。

 まず、被害者の人権が軽視されている現状を知り、深刻な問題であると感じた。それが分かる一つとして、犯罪が起こった際の報道の在り方が挙げられる。例えば、加害者が少年であった寺輪さんの事件では、加害者側は匿名で守られているのに対し、被害に遭われた方が実名で報道されることである。現代のソーシャルメディアが過剰に行き交う中で、このように実名で報道されてしまった方は見知らぬ他者によって無断で捜索され、ある事ない事を公表され二重の被害を受けている。「死んでしまったら人権が無いのか?」という寺輪さんの問いが本当に心に突き刺さる。そして同時に、やはり未だ加害者の方が守られていることを強く感じざるを得ない。これは小林さんの訴えにもあったように、憲法には加害者の権利に関する条文があるにも関わらず、被害者の権利条文はない。また、被害直後に警察が行う「情報をできるだけ聞く」といった調査方法にも、被害者の人権が軽視されていると感じる。被害者が一番ケアされなければならない状況にあるにも関わらず、単なる「証拠」として扱われ、肝心な当事者の気持ちが置き去りにされている。加害者側に対する権利に比べ、これらの様な不利としか思えない状況は早急に解決しなければならないし、被害者には加害者以上の権利が与えられるべきであると考える。

 次に、被害者ご遺族の方々から当時の支援状態について伺い、支援のあり方について考えさせられた。寺輪さんが被害に遭われた時に周りから得た支援をきっかけとして、条例制度の重要性について感じられ、「作って助かる人はいるが、困る人はいない」とおっしゃっていたことが印象に残っている。演習で被害者支援について調べた際には、民間が取り組む被害者支援において、被害直後から捜査・起訴・裁判・更生保護に至るまで、「とぎれのない支援に努めている」とあったが、今回の話からも現状の国や民間によって制定された被害者支援だけでは充分でないことがよく分かる。このように支援が漏れている中で、全国で条例制度ができることにより救える人の増加につながると認識した。三重県の条例にあるように、被害者の直面する「生活面」、「経済面」、「人間関係」や「心身」に関して、身近な自治体によるサポートがあることで、路頭に迷うことなく早く生活に戻ることにつながると感じる。しかし、このようなすべての人にとり良いと考えられる条例制度が、なぜ全国に拡充できていないかについて疑問が残るが、今後の学びの中で追求していきたい。また、小林さんのおっしゃった損害賠償代執行制度についてスウェーデン等では行われているが、日本では未だ取り入れられていないことを知った。加害者が見つかっていない、逃亡・死亡しているといったケースにおいて、被害者の方々の無念さや憤りは限りなく大きいことが想像できる。このような制度が日本でも早急に取り入れられ、少しでも被害者の助けとなることを願うばかりである。

 そしてシンポジウム全体を通して、連携がいかに重要であるかを考えさせられた。連携することにより被害者の状況を明確に理解し、必要な支援を行うことにつながる。しかし実際松本さんのお話を伺うと、被害に遭った後の手続きの過程で何度も同じ説明をしなければならないといった経験をされており、連携を実現することの難しさが浮き彫りとなっている。ただでさえ疲労している被害者にとり、同じ内容を質問されることは、被害への無関心さとご遺族に対する侮辱とさえ感じる。このように、安易そうな連携がなかなか実現されないことが疑問であったが、病院ソーシャルワーカーの加藤先生のお話によると、聞く側が「違う言葉を話している」、つまり、同じ患者さんを見ていても、聞く側の解釈によって全く異なると説明されたことを伺い、連携の難しさを理解することができた。専門職がそれぞれ異なる観点でアセスメントすることによって、被害者が多面的に支援を受けられるといったメリットがある。しかし加藤先生がおっしゃる状況は、各専門機関のアセスメントによって、それぞれの問題を解決するために各々が単独で治療を行っている状態にあると言える。もしこれらすべての専門機関の連携によって被害者の情報を共有できたとしたら、単独で治療するよりも、もっと理解が深まり的確な支援ができるのではないかと考える。単に情報を共有するのではなく、真に被害者に寄り添うための連携を行うことが重要であると感じた。

 最後に、ご遺族が当事者の代表として今回のようなシンポジウムにおいてお話をされることで社会にもたらす影響の大きさを実感した。被害に遭われた当時のお話をされることは、どれだけの年月を経ても悲しみがなくなることはない中で、ご自身が乗り越えられたお話をされる行動が人を動かしていると考える。そして制度、やがては国を変えていくというように、当事者の持つエネルギーに感銘すると同時に、その大きさを理解することができた。以前授業において、「被害者支援は被害者が訴えることでしか変えることができなかった。自分たちで伝えることで、ようやくここまで広がった」と伊藤先生がおっしゃったことを思い出した。私自身も今回のようなシンポジウムを伺うまで、恥ずかしながら犯罪は自分の周りには起こらないことであり、他人事に思っていた。しかしお話を伺うことで、誰にでも起こり得ることであると改めて認識した。そして、現状の支援制度ではまだ不十分であり、早急に制度が変わり対応していくことが求められていると分かった。これから学びを進める中で、自分にできることを追求し行動できるようになりたいと考える。

2年 M.T.

 今回のシンポジウムに参加して、登壇者である被害者遺族の方々がお話しされていた一つ一つの言葉が痛いほど胸に刺さり、我々は誰でも被害者、またはその家族になり得るため、このような問題は他人事ではないことを再確認すべきだと思った。そして、辛い経験をしたからこそ持っているパワーが被害者支援を大きく変えてきたことを強く感じた。

 前半の「被害者遺族の声を聴く」の中で印象に残っているのは、三重県朝日町の事件で娘を亡くされた寺輪さんの「被害者になることは誰も想定できない」という言葉である。昨日まで、何もかも当たり前だったことが、事件や事故によって悲しみと同時に、何も知らない世界に放り込まれる。司法手続きや経済面、メディアへの対応などに追われ、大切な人を突然失った悲しみのみで済まされないのが被害者遺族の本当の苦しみである。

 まず、支援体制について一番驚いたのが、上智大学生が被害にあった柴又放火殺人事件の話であった。23年前の事件であり、被害者への支援体制はほぼ皆無であり、事件当日、警察での調べが終わった後に(自宅が全焼しているのに)「今日は帰っていい。明日は長靴を持ってきてください。」と声をかけられたという話は、耳を疑った。いくら23年前だとはいえ、事件だけを解決すべく動いている警察であるとはいえ、悪気がないとはいえ、聞いている私もショックを受けた。しかし、そんなときお母様のママさんバレーの仲間が支えてくれ、「地獄の仏」であったという話から、近隣住民、被害者遺族の周囲の人々の関わり方も支援の大切な要因であることがうかがえた。広島トレーラー事件の妻の松本さんは、事故当時は気が立っていて「近所の人から同情しているような雰囲気を感じ、気を遣わせてしまうのがイヤで接したくも話したくもなく」「車で1時間かかるスーパーまで買い物へ行った」記憶などをお話しくださり、近所、地域の協力がいかに早く日常を取り戻し、社会に再統合するために必要な資源であるかを実感した。近所の方が、今まで通りに接してくれることを望んでいるという話からも、被害者の方にとって最も重要なのは日常生活がいかに取り戻せるかであるということが伝わり、地域住民、身近な自治体の支援体制の充実が期待されると思った。

 支援制度に関しては、23年前と比較して現在は、被害者遺族の声、あすの会などの被害者主体の団体、平成16年の犯罪被害者等基本法の制定により改善されてきてはいるが、まだ被害者の方が望んでいること、今後できる支援がたくさんあると感じた。

 まずは、時代の進歩とも言えるインターネット、SNS、メディア報道について、メディアから家族を守る支援に改善の必要があると思った。寺輪さんは事件のことや娘の生前を知らない人たちが、心無い言葉をネットで発し、あることないこと噂されるといったメディアの過剰報道に苦しんだという。さらに事件の直後はマスコミに囲まれ、葬儀などが済んでも家の周辺にマスコミが張り込み、3週間ほどは家に帰れず、家へ帰った後もテレビやラジオをつければ娘のニュースが流れ、心を休めることができなかったそうだ。メディアは必要な情報を国民に伝える役割を持ち、必要不可欠とも言えるが、被害者遺族の傷を深めるために使われているのであれば、それは被害者遺族にとっては凶器であるとさえ思った。また、この話を聞いて、平成13年の池田小学校事件でもマスコミのヘリコプター騒音や心ない行動によって被害者遺族を深く傷つけたという話も思い出し、メディアのあり方に疑問を感じ、改善していく必要があるのではないかと考えた。

 続いて、人権保護に関してだ。憲法には加害者に関する条文があるのに、被害者のものは存在しておらず驚いた。上述した寺輪さんの事件の加害者は少年であったため、加害者の名前や顔は一切伏せられた一方、被害者である娘は実名報道がなされ、「死んでしまったら人権はないのか」と訴えられていたことが心に刺さった。近年話題になった相模原の障害者施設殺傷事件や、京都アニメーションの放火殺人事件でも実名報道に関して議論をされていたことを思い出し、「亡くなったから構わない」のではなく、残された家族の気持ちに寄り添って支援をする必要性を感じた。また、被害者の人権を守ることは、被害者遺族の心の回復に直結しているため重点を置いて考えていくべきであると思った。

 後半のパネルディスカッションでは、支援の地域格差に関心を持った。「セーフティネット」ではなく布のようにしっかりと全員を支援していく「漏れのない支援」を行うために、各地域がもっと被害者支援を深く考え、それを自治体や都道府県、国が後押し、サポートしていく必要があるという話に共感をした。

 例えば、中高生に向けて命や被害者に関する授業を行うなどして、まずは地域の人たちに「知ってもらう」ための取り組みを行い、市役所の窓口に福祉職や心理士を配置し、包括的な支援を実施することは多くの市区町村で行うべきであると思う。その中で、支援員のボランティア育成をしっかりと行い、支援が全体に行き届くように環境を整えることも重要である。正しい知識を持った支援員が増えることで、事件後すぐに遺族の元へ駆けつけていけるような環境を整え、スムーズかつ遺族が孤独感を感じなくても済むような支援制度を確立すべきだ。また、住民が普段から気軽に相談できるような場所を設け、丁寧と対応していくことで遺族だけでなく、その地域に住む人すべてが安心して生活できるようになると考える。そのためにもまずは支援員含め、警察や弁護士、福祉職、病院や役所の人たちが日頃から顔の見える関係作りに勤める必要もあると考えた。

 多職種連携について、パネルディスカッションの中でとても印象深かったのは、福岡県、静岡県、横浜市などから、病院ソーシャルワーカー、弁護士、公務員などの様々職種の方がいらして、自分の地域で行なっている取り組みや、改善すべき点などを話されていたことだった。このようなシンポジウムを通して、他の地域の良い部分を知り、自分の地域でも採用したり、アイディアとして持ち帰り自分の地域にあった形に変えて活用したりするなど地域間格差を小さくすることは、時間はかかるが有効な方法であると思った。

 まとめとして、今回のシンポジウムでは23年前から近年に起きた事件の被害者の方々がお話しくださったことで、支援体制の進歩した部分、そうでない部分の比較、新たに出てきた今後の課題の再確認を行うことができ、とても理解しやすく、当事者の視点に立ってお話を伺うことができた。最後の総括で諸澤教授が「世界・人助けランキング」が日本は最下位の126位である事実を話され、私はそれを聞いて自分の経験も含め納得してしまう部分があった。こうした点を改善することが被害者支援はもちろん、様々な支援の体制整備に通じると思った。

ゼミ紹介